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2006.10.11

同調性と議論べた

 講演会を企画立案したり、自分でも数少なく壇上に立ったことがあるのですが、講演会をするととても面白いことが多々あります。
 まず、企画立案するときって、何百人も集めなくてはいけないときもあるのですが、集客が予想以上に悪い場合などは、組織を使って懇願してきて貰います。

 でも、お義理で来て貰った方々の座り方って、後ろから席が埋まるんです。
 後ろから演壇周辺を避けるようにして、席が埋まっていきます。

これは、人気のない講演会も同じ。講師の力関係が座り方の状況で一発でわかります。
 著名な方で、時流に乗った方の講演会だと、講師の縁談の真ん前から半円形に段々埋まっていき、後ろの席ほど空いています。タレントさんなんかだと、顕著でさわれるぐらいそばに寄りますものね。心のバリアーがあるかないかの実例ですね。
 皆さんも、自分で講演なりセミナーの講師として演壇に立って、参加者がどのように座っているか、どのように座るかを見ていただくと、講師の演題の魅力や参加者の興味の度合いを測るためのバロメータとしてとても面白いです。

 企画立案する方としては、演壇に近いところにしか資料を置かないようにしたり、前から座っていただくように促したりしていましたっけ。
 でも、要領のいい方は、前の方の資料だけをちゃっかり取り、いつでも帰れるように後ろの方に座ります。

 まあ、だれも質問されたりすると困っているのかもしれませんが、講師から質問されることを結構嫌っているようです。講師が別に噛みついたりしないのですから、前から座ればいいのですけれど、心のどこかで、話の内容がつまらなかったら、中座して早く帰れるところに座ろうという、安全対策を心のどこかでしているあらわれなのです。
 また、一番最初に質問をするというのも、清水の舞台から飛び降りるがごとく、余程のことがない限り、心臓がばくばくしながら意を決して皆さんされているようです。
 第一の質問が素朴であればあるほど、二番手三番手と質問がどんどん出てきます。 ですから、一番はじめに高尚な質問をされてしまうと、次の方は概ね 「くだらない質問ですが、」と言葉が続いています。

 日本人はやはり、議論というかディベートをキチッと勉強した方がいいかもしれませんね。横並び意識が強すぎて、他社との意見の違いを言うことにものすごく抵抗があるように感じます。
 また、反論される、反駁すると言うことになると、どうしても自分が嫌いなのではないかと、相手に対して敵意が出てきてしまうようですね。
 ですから、ここでもまた、気持ちの配慮として「好きとか嫌いとかは別にして、云々」という言葉が前に着いてきます。
 人の顔が違うように、考えが同じ訳がないのですが、どうも、日本人は個性を重んじるとは言葉で言っても、協調性を重んじた個性を望んでいるのではないでしょうか。
 ディベートになれていない、講師等の質疑応答は寒々しいものが多く感じられます。
できれば、心にゆとりを持って、少しは微笑ましいやり取りをして欲しいと思います。
 落語の落ちではないけれど、敵意を持たせない言葉遊びの訓練は重要だと思います。

創業とか有限責任事業組合設立についてのセミナー講師受け付けております。
(*^.^*)エヘッ

幸運の招き猫くまさんことくまボンでした!
ボクの書斎』もよろしくね!!
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コメント

ごきげんよう。

「週刊!木村剛司」のTBから飛んでまいりました。

>日本人はやはり、議論というかディベートをキチッと勉強した方がいいかもしれませんね

正にその通りかと。「数学オリンピック」では、日本人は応用問題に弱いといわれますが、私はこれも自分で考えるクセがついていないからだと思っています。ネットのBBSなどを見ても日本人は「思考停止」に陥りやすいですよね。最近流行の言葉で、何かというと「意味分かんない」という、これこそ「意味の分かんない」反応をする人が多いです(若者に限らず)。ロクに考えもせず、条件反射的に出てくるんでよ、「意味分かんない」が。

私は、他人との議論は「究極のコミュニケーション」だと思っています。議論をするには、自分の意見を他人に分かりやすく伝えるだけでなく、他人の意見を正確に読み取る力、すなわち論理的思考も養う必要があります。論理力を高めるとは、つまりはコミュニケーション能力を高めることと同意義なんですね。

議論の訓練が出来ていない人と話すと、ヴォルテールの言う「私はあなたが何を言っても賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護る」という原則が感覚的に理解してもらえず、「私はあなたのことが嫌いだからなたの意見にも反対」していると思われてしまうんですね。もちろん、そういう人の意見は常に感情的です。

そう考えると、議論から遠ざかろうとする人は、自分のみを守ることだけを考えて問題に立ち向かうことから逃げてるといえます。議論には、自分の発言に最低限責任を持つというルールがあります。議論をしない人は、責任を持つことを放棄している人なんですね。議論の訓練とは、自分に責任を持つ訓練ともいえるのではないでしょうか。

議論は「同調性」とは相反する行為とも思われがちですが、「両者の意見の相違の落としどころを調整するための手段」も議論をする目的の一つだと知ることも必要でしょう。その意味で、議論から逃げている日本人が、協調性に優れた民族だとも言い切れないと思います。真の意味で「同調」を得るためには、意見の同意点と相違点をまず確認しなければならないわけですが、同意点を見つけることばかりに感心が向き、少しでも相違点が出てきたら、そこでお得意の「意味分かんない」で思考停止。

そのクセ、自分の無知を知らずに、一見もっともらしい一般論を真に受けてしまう。一見正しいと思える「常識」も、まずは誰かがそれは本当に正しいのかと問わねばならないはず。常識に逃げるのは「同調性」とは似て非なるもの。それも思考停止なんですね。

議論には、様々なテクニックがあります。しかし、これらは、マニュアル的に覚えただけでは一朝一夕に議論では使えません。時には単独で、時には組み合わせてフレキシブルに唯名論的に使用することが要求されます。応用力ですね。日本語は論理的思考には向かない原語といわれています。ですから、特に日本人は、小さなころから議論のしやすい環境で育つことが必要だというのが私の持論です。小学生に英語を勉強させるよりも有意義だと思うのですが。でも、先ずは、本を好きになることの方が先決かもしれませんけどね。

こんばんは、くまさん

やはり、初めに質問をする場合は勇気が要りますね。
心臓がどきどきします。
これも慣れなんですけどね。
それと、自己紹介などは面白く言おうとすれば
するほど、上がりますね。
なんなんでしょう。
日本人は失敗するのを恥とする伝統と言うか
文化があって、それも発言の邪魔をしますね。

私も人前で上がらなく喋るコツが知りたいです。

お久しぶりです。
同調性と議論というと、中学時代のことを思い出します。
あるテーマについて議論するという授業で、
他人と違う意見を言ったり、誰かに反論したりすると、その授業が終わってからも、「議論」という枠だけでなく、相手の人間性を否定したと取られがちで、友人関係が上手くいかなくなってしまったりしたことがあります。
だから必然的に、無難なことしか言わなかったり、「誰それさんと同じです」の繰り返しになってしまったり。
自分の意見は意見。
長いものに巻かれろ主義で通用する時代はもう終わったと思うのですけれどね。

モンブランさん、こんにちは∈^0^∋
長文ですね。
くまさんことくまボンでした。ではでは(^.^)/~~~

まるこ姫さん、こんにちは∈^0^∋
質問をすると言うことはとても苦手な国民ではないでしょうか。
 そして、どうしても周りを気にしますね。
ある意味いいのですが、バランスが必要かもしれませんね。
くまさんことくまボンでした。ではでは(^.^)/~~~

葉月さん、こんにちは∈^0^∋
お久しぶりです。お元気になられましたか?
日本人のディベートの訓練不足はとくに、学校でおこってしまいますね。
 本当に反論をするとその人自身を嫌いに思っているのではないかと思いこんでしまいますね。
 意見の違いは意見の違い、顔が違うことと同一なのにね。単純なことが理解できないのですね。
くまさんことくまボンでした。ではでは(^.^)/~~~

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