2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト

Access解析


  • アクセスランキング

  • アクセス解析


ブログリンク

無料ブログはココログ

シニアのためのパソコン教室

BlogParts





書籍紹介

« 裁判員制度の映画ネット配信 | トップページ | なにをもったいぶっているのだろう?松坂入札 »

2006.11.14

自然な役割分担がなぜできない?傍観者の増加

 最近の傾向として、自分に感心のあることだけは積極的に集中的に取り組もうとはするのだけれど、それ以外の自分に関係のない事柄には全く無関心を装う人があまりにも多くなっているのではないだろうか。
 何事にも無関心を装うことがもしかしたら、いまの悪いいじめや飲酒運転の多発が影響しているのではないかとふと思った。
 自分には関係ない。偉そうに言えば「君子危うきに近寄らず」、悪く言えば「火の粉が降りかかりそうなときには、見て見ぬ振りをすること」だろう。
 ぼくが大学生の頃、電車の中で、タバコを吸っている人がいたので、注意したと何気なく母親に話したら、母親は、「注意して激高され刺されでもして命を奪われたらどうするの」なんて言われたことをいまでも鮮明に覚えています。
 親心からだと思うのだけれど、何事も誰に対しても注意喚起は必要なことだと思う。しかし、最近の大人は自分たちは他人に迷惑をかけていなければ法律を犯しても自分たちの勝手だという風潮があまりにも強くなりすぎている。
 そして、命を奪われることを想定して、誰も何も言わなくなっている。
 すべての人が、見て見ぬ振りをすること、傍観者に成り下がってしまっている。
 河川敷でゴルフは禁止と言われても、「誰にも迷惑をかけていない」と言い放つだけ。
 良心がもうなくなっていると言うことだ。
 法律というのは、必要最小限生活をしていて守るルールにもかかわらず、それさえできない大人たちがいる。わからなければ、結果が良ければ、それでいいなんて嘯(うそぶ)いているのだから、もう世も末としか言いようがない。
 最近の事件事故は、すべてがそのような法律や良心とは別のところでのルール。
 つまり、迷惑をかけなければなにをしてもいい。
 だれでもそうだけれど、自分だけが助かればいい。
 自分たちだけが良ければいいと思い行動している人たちがいかにに多いことか。
 悲しいとしか言いようがない。
 映画のシーンでは自分だけが助かろうとしている人は勧善懲悪で必ず助からないのだけれど、現実の世界はそのようには行かないことを知っている。
 いじめの問題についても、いじめているものを見たら仲裁する人が必ずいたのだけれど、いまはいないのだろうか。
 仲裁をすることがいじめになっているのかもしれない。
 仲裁することに対する支援者もいないと言うことなのか。
 すべて、自分たちは観客席に座っている傍観者になってしまっているのかもしれない。
 最近のいじめや自殺報道を聞いていると、舞台でいじめや自殺で悩んでいる人がいても、関係者は同じステージに立つことをせず、舞台から降りて観客席でヤジを飛ばしたり、皮肉な笑いを浮かべたり、可哀想と感想を述べたりするだけなのではないだろうか。
 なぜか、最近の報道を見ていても、自分たちの現実の問題だとは感じていないように感じるのはぼくだけだろうか。
 もう、同じステージにいることを最初から避けてしまっている。
 飲酒運転事故はその典型ではないだろうか。自分だけはそんなバカなことをしないと思いつつ、酒を飲んでは事故を起こしている。
 同じクラスの仲間であっても、自分に不利になるようならば傍観者、観客に立場をおいてしまう。仲裁者がいじめの対象になることを考えても、おかしな社会現象だとしか言いようがない。多分、仲介の労を執ろうとすると、クラスの仲間からは「いいかっこをするな」なんて中傷をされかねないのかもしれない。
 いじめの問題は、どこの世界にもなるのだけれど、本来は助け船を出してくれる人がいるはず。いたはずなのに。自然な役割分担が完全に崩れ去っている。
 もしかすると、保護者である親もいじめの話を親子ですると、いじめられないようにしなさいとはいっても、具体的なことを言わず、いじめの対象となるようないじめられている子供を見ても「余計なことをしてはいけない」「君子危うきに近寄らず」なんて、忠告をしているのではないだろうか。

 大人の世界だけで、いじめの問題を何とかしなければと騒いでいるけれども、本来するべきなのは、人間のつきあいの中で、何か問題が発生したら、手助けをしたり、仲裁者になるべきことを教え、傍観者ではいけないと教えるべきではないだろうか。

 繰り返しになるけれど、親も問題を直視し、傍観者にならないように子供と真剣に話をするべき時なのではないかと思うのです。 
 
 選挙もそうだけれど、無関心が一番の問題かも知れない。

幸運の招き猫くまさんことくまボンでした!
ボクの書斎』もよろしくね!!
Movable Type公式サイト

« 裁判員制度の映画ネット配信 | トップページ | なにをもったいぶっているのだろう?松坂入札 »

コメント

こんばんは、くまさん

今の大人の社会のミニチュア版が学校のいじめ問題であると
考えられますね。
大人の社会は、法に触れること触れない事、やりたい放題です。
注意すると、反対に食って掛かられます。
殺されるかもしれません。
自然と人々は何もいわなくなります。

子供のいじめも、見てみぬ振りが大半を占めます。
誰も注意しません。
注意すると、今度は矛先が自分に向くからです。

大人はいじめは悪いといいますが、自分達の世界を改めて
そして、いじめの傍観者にはなってはいけないといい続ける
必要がありますね。

大人も一人ひとりが変わろうとしなければ・・・・

まるこ姫さん、こんばんは∈^0^∋
いまの大人が変わらなければ、子供たちの態度も変わるはずがありません。いま定年退職された方は礼儀正しい方が多くて驚きます。
これからの時代は、メチャクチャな時代が待っていることでしょうね。
こわい~!!
くまさんことくまボンでした。ではでは(^.^)/~~~

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/61851/12680674

この記事へのトラックバック一覧です: 自然な役割分担がなぜできない?傍観者の増加:

» ゴルフのルール [ゴルフマニア]
こんにちは!突然のトラックバック失礼します。よろしければゴルフのルールについて情報交換しませんか? [続きを読む]

« 裁判員制度の映画ネット配信 | トップページ | なにをもったいぶっているのだろう?松坂入札 »